岩井忠熊

Movie

Summary

岩井忠熊さんは、昭和18年 京都帝都大学文学部に進学してまもなく、
  
徴兵猶予停止により学徒出陣で海軍へ配属され、

海兵団、航海学校と進み、卒業後 海軍少尉に任官。
   
爆薬を積んだモーターボートで敵船へ体当たりする、
  
特攻兵器「震洋」の艇隊長に任命される。
  
昭和20年3月23日。

石垣島へ配属されるために乗り込んだ輸送船が、
    
アメリカ軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。
  
岩井さんは、3時間の漂流の後、救出される。

再び特攻兵器「震洋」の艇隊長に任命され出撃命令を待つも、
 
そのまま終戦を迎える。

   
というのが、太平洋戦争が始まってからの、
  
岩井さんの、とてもざっくりとしたプロフィールだが、
   
幼少時代のお話からとても興味深いのだ。
  
岩井さんが、幼いころ、

元陸軍少将だった父親が退役を期に
  
中華民国における日本の租借地・関東州大連に移住することを決意。
  
父親自身が、日露戦争に出征していたころから馴染みがある土地で、
    
日本に移譲されるまではロシアが街作りを進めていたこと、

大陸ゆえに欧州文化が日本より早く伝わっていたことなどから

「日本本土よりも先進的な暮らしができる」と、
   
彼の地を選んだという。

そして、移住後。
  
満州事変、満州国建国と関東軍が勢力を広げ、
    
事実上、日本が植民地政策をとっていく激動の歴史を目の当たりにし

岩井少年は過ごしてきたのだ。
  
   
満州事変から終戦まで、
  
日本が辿った歴史が見えてくるようなお話。
     
とてもおもしろいので、是非、ご覧いただきたい。
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【写真①】昭和18年6月/京都大学進学した頃
【写真②】昭和19年7月/横須賀にて
【写真③】昭和20年頃/海軍少尉として特攻隊を率いていた頃
【写真④】昭和19年頃/同じく特攻隊に配属された兄と
           本人(向かって左)、兄(向かって右)
 
岩井忠熊
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