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Summary

水野さんは大正15年、母親が出産のために帰省していた新潟県六日町で生まれた。ほとんどが田んぼと畑という田舎だった。その後3歳まで父母と長岡で暮らしたが、母親の病気をきっかけに再び六日町で暮らすことになったという。
生まれつき耳が聞こえなかった水野さん。だが、周りの子供たちからいじめられたりせず、いろいろなことを教えてもらいながら楽しく暮らしていた。祖父母の家はそのあたりでは唯一の商店で、何でも屋さんだったそうだ。

そして13歳になると、将来のためにと、初めて学校に通うことになり、長岡聾学校へ入学。手話禁止という厳しい方針で楽しいことはまったくなかった学校生活。4年生の時にやっと教科書で勉強を始めたが、簡単な内容しか学べず不安になっていると、時期を同じくして飛行機のタンクを作る軍需工場で働かされることに。そして6年生まで2年間働いた。給料は1年で1円50銭、六日町へ帰る電車賃にも満たない薄給であったという。

19歳で聾学校を卒業すると、水野さんは中学校には進まずに六日町に帰り、養蚕や店の手伝いをしながら暮らした。商店だったので色々なものがあり、近所の人に食料を分けることもあったそうだ。

そして20歳のある日、たまたま長岡の父の所に行った時に空襲にあった。
燃えている家の中に取り残された水野さん。
「私が慌てて下に降りた時はもういないんですね。誰も。周りも全部。周りも全部燃えているんです。で、私一人が残ってしまったんですね。これはもう死ぬのかなあって。」
死を予感した水野さんだが爆弾で火傷をしたりボロボロになりながらも必死に生き延びた。焼け野原でなんとか家のあった場所を見つけると、たまたま父と兄と再会できて一緒に六日町へ帰ることができたのだ。

そして終戦の時、玉音放送を水野さんの家に親戚や近所の人が集まって聞いていたが耳の聞こえない水野さんはしばらく何が起こったのかわからず、少しして戦争に負けたことを知ったという。
水野ミサ
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