1 00:00:00

幼少期
満州国で生まれ京都で育つ

2 00:07:27

松竹入社
戦意高揚映画ばかりで女優の仕事が少なかった

3 00:30:00

満州への疎開
関東軍の管轄下で満州全土を軍事慰問で回る

4 00:41:00

ソ連軍侵攻
あと2時間遅れていたら死んでいた

5 00:54:53

敗戦
ソ連兵に怯える日々の始まり

6 01:19:58

満州引き揚げ
過酷で悲惨な道中

7 01:28:04

奇跡の再会
藤山寛美の協力で衰弱した兄を救い出す

8 01:30:30

帰国
太平洋戦争を振り返って

16歳で女優になった赤木春恵。1945年、戦争の激化に伴い、生まれ故郷の旧満州へ渡る。出征した次兄に代わり20歳で劇団の座長となり満州各地を慰問。同年8月ハルビンで玉音放送を聞く。この頃から満州に侵攻してきたソ連兵たちの暴行や略奪に怯える日々を経験。苦労の末、翌年日本に引き揚げるが戦争の悲しい記憶は70年を経た今も、赤木の脳裏から離れることはない。

1924年(大正13年)
3月14日
 
満州国の首都 新京で生まれる
父は満鉄病院の医師。兄が二人の三人兄妹。
1928年(昭和3年)
 
3歳
父が亡くなる
1933年(昭和8年)
 
9歳
母と2人で京都の親戚の家に移り住む
1940年(昭和15年)
 
16歳
松竹京都撮影所入社。映画「二本松少年隊」でデビュー
1945年(昭和20年)
2月
20歳
本土への空襲が激しくなり満州国ハルピンへ疎開
兄が満州で立ち上げた劇団に入り映画に出演したり、
関東軍の管轄下に入り満州国全土を軍事慰問で回る
 
7月10日
21歳
座長だった兄が兵隊にとられたため妹の赤木春恵が座長を務める
 
8月9日
21歳
日ソ中立条約を破り、ソ連軍が満州へ侵攻。
 
8月15日
21歳
玉音放送。満州国ハルピンで終戦を迎える
1946年(昭和21年)
10月21日
22歳
日本に帰国
以降、「3年B組金八先生」「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など、数多くの
テレビドラマ、舞台で活躍。
紫綬褒章受賞。勲四等實冠賞受賞。
2014年 毎日映画コンクール主演女優賞受賞。

堀 潤 Jun Hori

戦争がいかに日常の連続性の中で遂行されていたかが分かる貴重な証言だった。「爆弾が落ちるまで戦争が起きているという実感がなかった」という言葉は非常に重たい。日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が侵攻してきてからの赤木さんの言葉だ。最も非日常的現場に思える「戦争」は当時の日本人の日常にどのように駆け寄ってきたのかを知る貴重な証言にぜひ皆さんにも耳を傾けてもらえたらと思う。

小島 美佳 Mika Kojima

お芝居の扮装さながらロシア兵から免れた夜、満州からの引き揚げ道中で見た日本人親子の別離…戦中の出来事を、まるで昨日のことのように語り尽くしてくださいました。20歳にして女優としての才能だけでなく、人望、統率力も兼ね備えてらした赤木さん。生きる知恵、タフな精神力、隣人愛の深さに感服するとともに、戦争の虚しさを改めて痛感させられます。

安彦 和弘 Kazuhiro Abiko

本土への空襲が激しくなり終戦の半年前に疎開先として「満州」を選んだと話す赤木さん。それほど当時の満州は平和で魅力的だったのかと驚いた。それは同時に、冬はマイナス30度まで下がる未開拓地をそこまでの街に作り上げた日本人開拓団の大変な苦労を想像せずにはいられない。それほどまでに「満州」という土地に日本人が根付いていたという歴史。当時のリアルな空気を少し感じることができた気がした。