吉本淳一さん戦争証言を公開しました。
吉本さんは、1924年(大正13年)、現在の山口県光市で7人兄弟の長男として生まれました。
幼い頃から体が弱く小学校も休みがち。青白くてひょろりとした姿はまわりから「電信棒」と呼ばれる程だったそうです。
中学2年になり士官を養成する陸軍幼年学校を受験。しかし結果は不合格。
試験官からは「軍人になる資格はない。山へ行って体を鍛えろ」と言われました。
それから体を鍛えた吉本少年は、3年後…
時は日米開戦の翌年、昭和16年11月。海軍兵学校に合格します。
「いよいよ敵国アメリカを撃つ」という思いを胸に江田島での寄宿生活をスタートさせました。
目指すは零戦のパイロット。
そして昭和20年3月卒業し、6月に運命の日をむかえます。
吉本さんは、”熱望”と記入し特攻隊へ志願しました。
配属されたのは、後に幻と言われる、ロケットエンジン戦闘機「秋水」隊です。
この飛行機は、高度1万mと飛来するB29を撃墜するために特別に開発された戦闘機でした。
プロペラ機の零戦ではそこまでの高度に上がることもままならず、また機銃の口径が小さかったため、
B29を撃墜することは難しかったのです。
しかしこの「秋水」。燃料が持つのは高度1万mに上がるまで、それ以降は滑空して降りてくるしかなく、
途中で撃墜されたり、墜落する可能性が極めて高い機体だったのです。
最終的に、開発途中で終戦になり吉本さんが出撃することはありませんでしたが、
自分の命よりも日本本土を無差別に攻撃するB29をなんとか迎撃し国民を護りたいと強く考えていたそうです。
吉本さんは「僕は職業軍人だから、国民のために死ぬのは自然なことで特別なことではありませんでした」と語ります。
国を想う気持ち、特攻へかける思い、心の隙間に忍び寄る死へ恐怖、今の日本への想い。
1つ1つが貴重な証言です。
是非お聞きいただきたいと思います。
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